昨日思い切って腕時計類の断捨離をした。
洋服なんか割と勢いよく処分したり、古着として売ったりできたけど、腕時計はなんとなく捨てにくくて、手を着けていなかった。
断捨離あるあるで、弾みをつけて捨てたら意外と心に響かなかった、という事がある。
思い出の品物なので大切に取っておいたけど使う機会は無い、そんな品物を捨てる時は悲しい気持ちになる。
と、思いがちだ。
#すっきり_さっぱり_断捨離
— 箱根ヶ崎P.N.3@出かけるの大すき (@pn3pn3) March 11, 2018
腕時計、ネクタイ、バック、その他小物、全部まとめて断捨離…っ!
(`・ω・´) pic.twitter.com/sUxd5KbsQY
ただ、思い切って捨ててみると意外にも悲しい気持ちよりも「すっきり・さっぱり」した気持ちになる。
物はあるだけで「使わなきゃいけない」と言う気持ちになる。
道具は使ってこその道具だと思っていて、使わない道具は道具じゃない。
物は大切に使いこそすれ、ガンガン使い倒した方がいい。
程度の差こそあれ、物は全て消耗品だ。
物は少なければ少ないほど良い、とは思わないけど使わない物を持っていても意味は無い。
NIXONの腕時計は、アルバイトで貯めたお金で自分で初めて買った思い出がある。
一か月分の給料全部つぎ込んで買ったので「あの苦労が全てこれに集約されるのか」と嬉しい様な悲しい様な、そんな気持ちになった。
ただ「少し高い腕時計を買う」と言う行為が、ちょっぴり背伸びをして大人になった気がした。
自分で働いたお金で自分が欲しい物を買う事で、間違いなく僕は少しだけ大人になった。
そんな思い出もあって値段以上の価値があった腕時計だけど、ディスプレイに時刻が表示されなくなって久しい。
自分を大人にしてくれた腕時計だけど、もうその役目を終えている様に思った。
その他にも少し捨てたけど、大抵は買った時の事が思い出せた。
逆に言えば「なんとなく買った物」は無かった。
そう言う意味ではちゃんと選んで買い物できるようになってきたのかもしれない。
いずれにしても今の自分に必要かどうか? 考えてモノと付き合うようにしたい。